皐月・二十一記 to 五分一世紀

 

 

部屋の窓は日差しが入らないように押し入れの戸を全部外して、ガラス窓に立て掛けている、つい4日前くらい前まで昼夜逆転ブルーライトを浴び続けた目には、茜空が見えるまでは寝かせてはくれなかった。くやしい、ふぇいすけあをし始めたのにこの生活に退路も進むべき道もないように思えていた。しかし、それは梅雨を感じさせる連日の雨、曇天、によって僕の脳内はボクサーが虹のような放物線を描き放たれた右(左)ストレートを顎にくらわせ、七色に塗られたブランコのように揺れ、精神から身体までプリキュアドラキュラになった(気分になった)ので、いつ寝ようとも寝なくても、最早世界の朝、昼、夜、という時間単語たちは液状化していた。つまり鬱々となるまえの躁を過ぎたカームベルトにいる。ぼくは毎年この時期が大好きである。屋根にぶつかる雨の音も、屋根から流れる昆虫界の濁流も、屋根と地面を繋ぐ逆昇竜拳の如き滝、地面と車や靴裏の間に存在している透明な音、どれもが視界よりも理性よりもそんなものはすっ飛ばして、体全体に響いてくる、おんがくのようなものだ。お前はジメジメしてるからな、とか野暮ったい声が聞こえてきそうだが、雨=湿っ気だけで生きているなら、もう一度そいつらに来世を与えたいと本気で思う。それが叶うなら中学入学と同時に全く通わなくなった教会に残りの日曜人生すべて掛けてもいい。日本の地味な建造物の数多くが鉛色で、その背景に灰色の空が広がっているのは、ワントーンという手堅いファッショにストでも真似できない。色の事を言っているのではない。ロジックでもバイブスでもなく、それは見れば分かることだ。

 

人間的に言えば、今日は朝の八時に起きた。いつか買った、チョコレートサブレと牛乳を嗜み、煙草をくわえていた。ぼたぼたとだらだら、ドュルドュるとスンスンと、時間は過ぎていった。スマフォで持続給付金のホームページを見ていると、KR、赤プッシュ、緑プッシュ、の画面が表示されたので、緑プッシュをスライドさせた。KRとは長い事あってなかった気がする。経堂駅前のしゃぶしゃぶ温野菜一号店で昼食をともにした。会話はしていたが、内容はほとんどなかった気がする、けどお互いになにか核心めいた事を感じながら喋っていた、そんな感じだった。久しぶりにあったKRはいつからか時間が止まっているように思えた。久々に会えたのでとても楽しい気分だった。お酒も入っていたので、顔が赤いまま小雨のなか別れた。

家に着くと持続給付金のホームページで、書類を作成するが、最後のところでエラーが起きたのでもう一度最初からやり直してください、と画面が出る。何度も出るので、調べてみたらサーバーが集中してすすまないようである。煙草をくわえて、わたしはベランダに出た。外は灰青としていて、キタノブルーを思い出した。夜は散歩に出て、ホットスナックを食べながら、youtubeで中東問題の動画を見ていた。幸福実現党の及川さんの解説は分かりやすく、あとこれは悪い意味になってしまうが、政治家と宗教という二大パワーワードに属している人だが、全然そういった香りが見てて匂わない。端的にいえば胡散臭くない。善人という言葉を背広のようにきこなしている人はよく見かけるが、この及川さんは兄のお下がりの洋服を嬉しそうに着ている感じだ。

池上彰春香クリスティーンサウジアラビアに行った動画を見ていて、来年くらいに行ってみたいと思った。そして春香クリスティーンのアバヤ姿にはその不似合いさに興奮した。やっぱり来年春香クリスティーンサウジアラビアの豪邸とかのプールで遊びたいと思った。池上彰とはアメリカのラスベガスへ一緒に遊び歩きたいなと思う。そんな姿を想像するだけでどちらも楽しい。ともかく来年はサウジアラビアインドネシアに行けることを(スイスもね!)悦に願う。

 

 

如月・(回想記) to 五分一世紀・mix弥生

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3月30日現在・経堂駅前、商業店集合施設中にあるタリーズ店内。目の前には、

macにSpuremeのシール張っつけている、学生がiphoneでゲームをやりながら、なにやらパソコンに向かっている。交互に作業している作業を見ていると、その集中力のなさ(比例して分散力は高め、、なにやら体を揺らし始めたぞ……!!)と時々見せるに焼け顔は、個人的に2月中旬ごろにCMの仕事をした時の監督を浮かび返らせますよ。笑っちゃったよ!!想像通りのゆるふわ系、、あのセカオワのボーカルの、なんだっけ?あれベッキーと裏デュエットしてた人(笑)とにかくあんな感じの、まあスマートで、自分に何かあるぞと思わせる天才って星の数いると思うけど、大体あう人くせっ毛のボブで地味ーな服を着てらっしゃって、CM顔は色んなタレントさんがいますが、裏CM顔として代表例はやはり、あの人だなと思いました。名前忘れっちゃった(笑)よかったらその内にyoutubeなんかで流れると思うので見てください。wifiの革新的(らしい、機械によわいので)アイテムのコマーシャルです(中身じたいは、まあ、高校生ノリで作ったような感じだと、僕もまだ見てないけど!)

 

まあ、、昔ながらの親子の決め事で、TV見ながら食事するのは行儀が悪いのでやめましょうよ、ということをさ、もう誰も止めようもないし、香川県のゲームは1日1Hなんてのは、「~~しながら」っていうのは、一番中途半端で、分散も集中もしてないわけですよ。あくまで行動的なところで、思考的にはそんなことよくあるけど。

リラックスしてる場合と緊張を強いる場合を、そのリズムを体に拒否感なく受け止めるってのをしないと、あっというまにネットゾンビで自分のよだれ事飯を食う羽目になっちゃうぞ!

 

 

3日

気だけが若くて体力的にはもうゲージがずっと赤の御老体とかたまにいますが(その原因は酒と隣接する孤独感)、「若いのには負けねえ(ていうか俺がまだ若いんだよな(恍惚))」、その辺はまあどの時代にもあるご愛敬というか、弥生時代とかでも通じそうなコントで楽しいんですけどね。ただ自分の身にも起きるといささかショックでありまして、体力的には案外底知らずなんですが、気づかぬストレスにやられて、一週間ばかし、帰省する羽目になって(帰省ってイベント楽しいですよね、漫勉なく散りばめられた人生の余遊ですよあれは)、僕は実家に帰る前後はだいたい熱出るんですが、案の定出てしまい、今回はこのご時世(国のホームページ見て『国民の皆様におかれましては~』なんて文章どっかの前口上でしか聞いたことも見たこともない)、「あ~やっちゃったな、東京から俺が地元にパンデミック起こしちゃうよ」と結構落ち込んで、医者に行くとっ「インフルエンザですね」と言われて、舞い上がって西宮の家で引きこもってました。

 

なんで、帰省したか書くの忘れてた(笑)

スイス人のMって女の子が、うちに二か月ばかし居候する事になりまして(理由は省きますが)、それに伴い大学時代の後輩で年代的には先輩のS君がうちに半居候する事になり(理由は家政婦兼通訳(笑))とりあえず、三週間くらい共にしてたわけですよ。僕は英語が一切できなくて、向こうは英語が話せて、日本語は出来ないんですけど、お互いアプリ使ったりして意思表示したり、何となくできたノリで遊んでたんですよ。

楽しかったですよ!めちゃくちゃ!!でもね、言葉が通じないってね、つらいでもなく、悲しいでもなく、もうね、身分隠して生きてるお嬢様のような気分よ!!

まだ、Mがロジック的な性格だったら、お互いにゆったりとアプリなんか使って、スローモーションな会話ができただろうけど、完全にバイブス路線の女の子なんよ!だから、カラオケ行ったり、ふざけたノリは楽しいけど、生活してくうえでもちょっと面白い事とか言いたいけど言えないわけよ!その辺もうs君がMと気が合いまくって、夏休みに親戚のおじさんと遊ぶ姪っ子っていう純潔なSM(どんなんやねん笑)っていう図が完成してたの!僕はそれを縁側から見ているおじいですよっ。孫がクラブ行こうって言えばーS叔父さんは強制参加、半分保護者だからー、付いていき、下北沢でおじいさんもタイ料理食べませんかと、誘われれば一緒に春巻きとレッドカレーをつつきーこの時期のS叔父さんが親戚の集まりで(後輩が何人か来ていた)丁寧に気を使いながら自分が一番楽しむという技の高得点を叩き出していたーもう遊びまくってたわけですよ。

ただS叔父が実家に何回か帰ってる時に(こう書いてると本当に親戚っぽくなってきた笑)

何度かMと二人きりというのシチュがあって、やっぱり口数は減る。あっちも感じたくもないちっちゃなストレスだったと思うんだけど、でも向こうはまだ日本で遊びてえっ

ていう雰囲気はあるわけですよ。僕もM(ago)をどこに連れていこうかな、なんて考えるけど想像するに沈黙が勝っちゃってからに、そりゃもう世代が全然違うから(笑)どこ連れてけばいいのか分かんないのっ。

でもってね、ある時、M(ago)がねチームラボ行こうよ、て言ってきたの。でね、調べて今やってるから行こうかって伝えて、車の方が早いよって言って、まあそれは嘘で、電車で話すにはうるさすぎて僕が会話どころでないし、まあコロナの事もあったし、とりあえずレンタカー借りてお台場まで向かったの。

チームラボは初めてで行ったけど、どこ歩いてもファンタジーで、二人で触れるとバラバラになっちゃう蝶とか踏んづけたり、バカ高い天井からぶら下げられたたくさんのLEDのコードに、専用のアプリで象徴文字みたいなのをスライドさせて投げ込んで、遊んでたんですよ。ただもう何かに対するコメントが英語で一切出てこなくて、会話がないの、別に楽しのに険悪なムードに見えちゃうの。それがたまらなくねストレスだったんでしょうね(笑)家ついて、速攻体調崩しちゃって、その日の夜実家に帰る予定だったから、そのまま夜行バスで悪寒にさらされながら、大阪の梅田に着いたわけですよ。

 

友達とか親に話したら、「知恵熱じゃない」と言われて、そんなもんあるか!と思いながら病院行ったら、先で言ったインフルだったというね。たぶん、チームラボがインフルのクラスターだったと思う(笑)蝶踏んでる辺りから、だるくなって、デジタルの生き物でも怨霊っているんだとか考えてたから(笑)

 

 

 

 

 

もう世間は言葉が出なくなるような状態で、でも唖然ともしていられないって板挟みで高橋源一郎『非常時のことば2』とかでるのかな。とりあえず読み返そう。

M(ago)は今月の八日にとりあえず帰ったからよかったけど、五月にまた来るとか言ってたけど、落ち着いてらで会いたいよ。次会うときは話せるようなっとくから!だから五年後くらいでいいんじゃない(笑)おじいはそれくらいかかりそう。S叔父も仕事決まっていっぱいお年玉でも貰おう(笑)


咳やくしゃみしてる人見かけても嫌な顔したってしょうがないし、かける言葉もないなら、とりあえず「bless you」っ言ってあげましょうよ。



じゃあ、せーので、へっっっっくしゅゅゅんんんんんんっっっつ(鼻水)!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

ボケッとしてたら年明けに

 

 

12月9日

今はいつになくぼーっとしてる次第でありまして、普段からボケーっとしてるけれど、毛抜きを入れられたらもうどうすることもできません。眠い訳でもなくむしろ新鮮な気分で千代田線の上をゆらりとしています。

朝から表参道駅で降りるのに、低血圧に拍車をかけなけなしの血迷いを起こし、原宿で慌ててドアinドアになりながらもホームに降りるといつもの見慣れない場所で当惑しながら、私のうしろの電車は走り去り、状況の整理をつけてベニーでマンションまで爆走したわけです。青山通りを爆走するなか警官の「交通法違反だよ!」という優しい指摘も、修羅を装う(というより、慌てん坊のサンタドスクロースか、おっちょこちょいの麋という子供に不愉快を、じゃなかった冬を届ける道下師)私の耳には念仏のような心地よさとして受けとり、交番前を突っ走っていました(マンション着時には髪形が美容院にて300円でアフロにしたような荒々増々のチリヂリ具合)

バキュームは階段から落とすわ、大型バイクにカートをぶつけるわでふわふわと過ごしておりました。なんでその天パのように浮わついてるの?、と訪ねられればこの1週間珍しく遊びに遊んでいたためで、折坂裕太のライブ行って、ロベールブレッソンの『白夜』を見ては終電を逃し渋谷から経堂までペニーで小雨の中狂走し、西川口にあるオートレース場で勝った負けたの老醜たちの果てを見ては、ラジオの収録をして、清掃の社員さんにもらった山梨の白ワインを飲みながらだらだらと家で『ヴィクトリア』を見ては、喉風邪をこじらせている友人二人と回転寿司を食べカラオケに行っては、マンション清掃の忘年会に行ってちぐはぐしていて、平成最後にこの狸みたいな私は合戦という名の祭り御輿に乗ってやろうという意気込んでいたんだどすえ~。。

 

12月10日

そしてそして、その祭りはスパンクハッピー&ジャズドミュニスターズのライブで幕があがるわけです!チケット争奪戦(前売り開始一時間でソウルド・アウト!)に何とか勝って珍しく躁状態だったんですよ。ほんとに。仲西に頑張ってもらいました(笑)ドラマ6話終了くらいのハラハラ感でしたよ。あと1歩で一夫と美沙子のキスが成立しそうなのに宿敵忠則がやってきた、みたいなね、どうなる!!この三者の関係は!!みたいなね、の連ドラを披露していました。同じ一時間で。

そして、そのクライマックスはなんたることでしょうか、僕の目と脳を繋ぐ神経以外の何かがスパークして倒錯具合に拍車がかかっていきまして、菊地成孔名越康文の音楽と変身というのをテーマにトークイベントがあり、それになーんとしてでも行ってやるぅ!今日休みだ!!ひゃっふぉい!!!れれれれのれー🎿🚀と当日券を買いに代官山のライブハウスにて30分並び、ドリンクチケットと共にお金を支払い、満席ながらも自分の居場所を確保し、ドリンクを床にぶちまけ平静にお絞りで拭き、おつまみセットを2分で平らげ、ドリンクを追加し、いざ開演!いよっうお!!と、舞台袖から着物を着たおじいさんとおばあさん(化粧濃い目)が出てきましたとさ、御仕舞い、御仕舞い、めでたし、めでたし。と何か夢現な場所から開放されたような気分で目に映っている光景を全力で否定したかったのですが、手元のライブハウスのチラシに書いてある12月スケジュールには「10日、手猿楽を復刻を目指してその記念すべき旗揚げ」と書いており、「あー、これって昼間にいとうせいこうSNSで書いてたやつやん、あれって昼間にやって、その夜がトークイベントじゃないの?」と思って、そのスケジュールの下、11日の欄を見ると「菊地成孔名越康文、ミニライブ」とあり、もうそのまま狐につままれたままポカーンとしていたこの狸さんは素人のやる能「手猿楽」を恨めしく見ていたという次第です、、、

イナンナの冥界下りという戯曲でシュメール語で実際に台詞を言い後ろにプロジェクターで字幕を流すというスタイルで、泣く動作を3つに別けて、目を擦る、鼻を擦る、そして性器を擦る、といういきなりそこぉ!!というこれだけ覚えといてというのを前座でやり、いざ開演、もう5分で終わってょ、帰りたい、明日はもう行かないよ、今日の晩御飯なんしよ、あぁ、さっきおつまみ食べちゃった美味しかったな、周りの身形の良いお年寄りたちのお目目はドライブ感満載の中ぷっちん不機嫌でイナンナの登場を待ちました。イナンナはずっと舞台の上で宙吊りになって、浮いてんだけどね(笑)干物みたいに。  

 

 

21日

兵庫に帰省、実家には帰りはしなく、西宮と京都と足を運んでおりまして。

前日に予約していたバスのチケットがコンビニで買えなくて、会社に電話してもうまくいかず、結局当日にバスをなんとか抑えたのだけれど、そっちのが安くて、横も後ろもいない最前列だったのでラッキーでした(風邪ひいたけど)

おかんとおひるを共にして、年内のあれこれを振りかえる。相変わらず家の様子は変わらずのようで、思えば家族にたいしてのいつからかある(おそらく幼少期から)苛立ちも、何に対しても私が隣の芝生が青く見えるという小学生からの思考が今も根強く残っているような。ほんとうに馬鹿で不器用な私は周りの「出来る」ということだけが「普通」に見えて仕方がなく、それを唯一甘えられる家族に対してぶつけていたとふと思う。なんてバカな子(笑)と一笑してこんな話はポイとどこに行くかも分からない不燃物と共に埋めてしまおう。無くなる事はないのだ。海に積もった泥みたいに、嵐が来ては舞い上がり、落ち着けばまた違う層になって魚たちの土台になるのだろう。青い海はどれだけ叫ぼうとも赤にも黄色にもならないのは24年と少しで分かった事だ。なんて馬鹿なの(笑)

 

12月22日

スパンクハッピーとジャズドミュニスターズのライブを青山クラブゼロへ見に行く。仲西が東北大震災の時この辺にいたらしく、辺りの高層ビルの上の方がぐにゃんぐにゃんなっていたと言っていた。

ライブハウスの中は狭くて、本当に谷王や菊地成孔小田朋美が近かったが、別段それで失神するような気分にもならずに、なぜなら、その前にトイレへ行こうとドアを開けたらタトゥーを両手に入れたおっさんが「ごめん、ごめん、閉めてなかったわ!」と言い、用をたしていて、それが今回のイベントの親玉だと気付かず仲西に「何か変なおっさんの小便してる所見たわ」と言ったところで、あれ菊地成孔やん!とその場で大爆笑していたからである。普段好きなタレントが近くにいたとしても絶対気づかないし、そういう事もない私にとってその出会いは拍子抜けで(勝手にね)、その後の演奏の嵐にうっとりするばかりだった(横にいたカップルの女が踊り乱れ暴れていて、もうそのまま地の果てまで果ててくれと願うばかりでいた)。音楽を聞きにきたというより、漫才ライブ見てるかのような掛け合いのほうが印象的でしたよ、だって小田朋美、じゃなかったOD本気で落ち込んでるんやもん(笑)谷王は後ろでのったりのらなかったりでなんやこの緩いコントは、地上波の低予算よりも全然おもろいやん、てな感じで眼福の一時でした。

 

12月29日

バイトを終えて、高田馬場に向けて慣れないJRに乗る。年の瀬近くになると人がわんさかいるので、それだけで疲れてそれだけで東京の殺戮型圧縮車両のレベル7(段階つけたいがまだぺーぺーなので私感、つまり阪急電車と比べて)に参りまいるのだが、大学の同期の少々の忘年会に行くため我慢。の限界で帰ろうかと新宿駅で1度降りたり乗ろうとしたりの繰り返しをしてなんとか到着。早めについたので誰もいないので辺りを散策。駅回りは学生街のせいか店も多くて賑やかだか少し離れれば静かな場所にでる。神田川が商店街沿いにあるのが印象的。

企画者が到着したので、とりあえず合流して二人で店に入る。彼はずっとぶつぶつ文句なのかジョークなのか分からない事を一人で喋っている。

ぞろぞろと(あと3人来ただけ)他の面々が来てご飯を食べる。こういう場は本当に苦手だから、あんまり飯の味の記憶とかもないのだけれど水炊きの料理で前菜で鳥刺しが出てきて久々に食べたのが美味しかった。

水炊きは出汁だけでも濃厚だったけど、少し薄味で店のぽん酢を混ぜると何杯でも飲めるように仕上がっていて、げんに周りがなんでか爆笑してる中ずぅーずぅーと啜っていた。

帰りに新宿でうまい青ヶ島の焼酎があるからと、実家に帰る二人を見送ってから3人で行くことに。〆の青海苔とブリの寿司がその日食べた中で最高だった。というかこちら東京に来てからか(寿司屋での賄いを毎日海鮮丼を食べていた私にとって、醤油わさび刺身ロスの舌にはもうベストコンディションだったはず)。

途中映画の話になって、意味もなく複雑化しようとする(ハッキリいうけれど)バカがいて、いやぁ案外シンプルだよ清順は、というと、お前は映画を分かってないと首を横に振り、本当に(さらにさっきりよりくっきり言うけれど)馬鹿、と溜め息混じりに体の中から漏れてしまう次第で目の前の白子だけが唯一救い。私の方が分かってる分かってないだのと、そんな小学校の学級委員長みたいな事を叫んでいるわけではありませんよ(まぁ実際会話のレベルはそれくらいなのだけれども)。分からんのなら分からんでもうちょい言葉選べ!笑 複雑っていう雑な言葉誰も使わんわ!!てか誰でも言えるよ、古代人でも人工知能でも高田純次でもマサオくんでも。たぶんボーちゃん辺りが言ったら深みが出るんだろうけどね、「ふく、、、ざつ!」とかね、どうよこの間の取り方!ってなるよ。

あーと、ボヘミアンラプソティで、ライブエイドの前にフレディマーキュリーのエイズが発覚したってのは、映画の中の話だからね!一応史実じゃライブエイドの後だからね。二人とも!!「クイーンの映画」が好きなのは分かるけどさ!「クイーン」好きではないのも分かるけどさ!笑 別にお前もそんな曲知らねえだろと言われれば口はパクパクしてしまうでしょうが、映画見た後になんとなーく調べるじゃないですか、面白かったしね。

まぁこれも全て映画の力と言われればすごい影響ですよね~二人とも、いや違うよっ!って言うんだもん。思わず、あれ?ってなってとりあえず頷いちゃいましたもん(反省)

 

とまぁ年の瀬近くに戯れ言が聞こえた聞こえないの話を書いてたら年が開けちゃった(笑)ってなって、慌て書いています。

 

今年の抱負をまだ決めかねとりますが、それは次回にでも。ではおやすみなさいませ(深夜に書いてるので失敬)

 

 

 

以下、ラジオ前口上

 

 

 

 

1月 私はブルックリンの寒い中、海辺で遊ぶフォリーズ、愚か者たちを、どこかへ旅立とうとしている船の甲板の上から見下ろしていた。

2月 その船は1ヶ月間同じ場所でただ浮いていた。私は部屋に運ばれてくる韓国料理やベトナム料理、たまに味噌スープを食べながら気長に出港を待った。同室の白人の数学教師とトランプをしながら待っていた。「日本人は大人しすぎるよ、どんどんミサイル撃てばいいんだよ」「サムライ万歳ね、セブンイレブン万々歳、heaven&hellブームは徐々におこってると思うよ」そして汽笛の音とともに船は出発した。愛の見切り発車。白人は卒倒していた。

3月 嵐にあい、船は沈没した、そして私は島に流されその島の人たちに捕まった。私は非常時のことばを持ち合わせていなかった。7年間そこで暮らし彼らの生活に慣れたころ自由を与えられた、この土地の名前は教えられなかったが遥か東に位置するという。私はまず声を失った。

4月 都市部の郊外のBarで飲んでいた。そこに町で一番の美女が私の隣に座った。他愛もない話と他愛もないセックスをした。彼女は5人姉妹の末っ子だという。決まった時間に私たちは愛し合っていた。ある日から来なくなり、バーテンに話を聞くと彼女は自殺したらしい。クラクションの鳴る大通りをだらしのない犬のように吠えていた。

5月 ベルリンのサーカスで働いていた時のこと、相手が空中ブランコで二回転半のジャンプをして、私の手を取ろうとしたが、失敗し地面に落ちていった、天使のよう彼女の残像に口紅だけが残っていた。

6月 ほとんど見えない、目に、喋れない口、というより言葉を失った私は音楽だけを聞いていた。言葉が分からなくてもなんとなく分かるような気がする、声にのった詩を私は口にできずとも目にすることは出来ていた。その日から私は適当な番号をうち電話に誰かが出るのを待っていた。

7月 君は赤ちゃん、みたいだねと電話越しに言われた。だって何も聞けないのだから仕方がない、という旨を伝えても、微弱な静寂とともに笑い声だけが返ってくる、今私が育てている子供もね、私が笑うと嬉しそうにするのよね。産まれた時はお互い泣いてたのにね。

8月 占い師にあなたはまたこの場所に戻ってくると言われた。そしてあなたがただ生きているだけで助けられているとも言われた。何も理解できずにいたが目から涙が落ちていた、水に似た感情はいつまでも惨めな気持ちと慰みを液状化させてくれるが、酒を飲んでいたからどうせ夢だろうと思いながら眠った。

9月 高架下から走る電車を見上げていた。誰も乗っていない光だけが映写機のフィルムのようで映画みたいだった。四本目の車両に白い影が見えた、ドレスを着ていていつか噂話で聞いたメリーさんだと思った。私はそのまま高架下を突き抜け朝陽とともに煙のように消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一期一会の縁残し

 

 

東京は世田谷に引っ越してから、はやくも2ヶ月半がすぎて(まだ2ヶ月に安堵していいのやら)、毎年に感じる9月~11月の速さはもっとゆったりと時間の流れを感じてはいたのけども、これどうなんだろう?東京の町並みに景色観ないからなのか、今年が暖冬だぁ、と言われてるからなのか。とりあえず来年のこの時期までにならないと分からないですなぁ。まだ生まれたての都民ですからね(住民票は近シベ)

ともはなにあれ、筒井康隆の『残像に口紅を』を飲みの場で勢い余って(圧されたので圧し返すという、反射的にやり返す悪い癖)貸したのですが、「1ヶ月したら返すわ」と言われびびっています。まだ私が読めてないから(笑)貸すなよ!っと貸した直後に後悔というほどでもないけど、苦し紛れな自分を責めました。いやー、話盛り上がっちゃったんだもん。その方が大学の時に言語について学んでおられて(方言の元を辿っていくというのを、アイヌ語を対象に東北でレコーダー持って集める、という面白そーな事してたり)、こういう本があるんだよ、と見せたら「貸してくれるの?」と聞かれて、貸してしまいました。てかっ、俺が鞄に本持ってるって事はまだ読んでる途中って分かってたよね!!でも好奇心と配慮は紙一重に押さえきれなかっただけだよね!!!返された時に話振られても答えれない、どないしよ!!!もう知らないのに話合わせるのはやーめた、知らなくても話す術なんていくらんでもあるんや、という今年のサブ抱負は来年に持ち越されそうです。残り1週間どうするか、、、まぁ当分返されない、またはもう一生戻ってこないだろうな。連絡先知らないから。

ともあれ一期一会の縁残しを楽しんだまでのことですよ(会いたくないみたいな感じがにじみでてるのぉそういうことではないのだよとほほ)

 

そして、本を貸しちまった!の件の3時間前ほどには試写会があったなと先程思い出しまして、すらすら~と、もう1年前になるのですね感慨深くも早いな~とも感じる事はなくただ自分の中で何も言葉がでない期間だったなと頭の中を巡りぬけていました。泣くことも(私の中で泣くことは、理由がどうあれ感傷に浸ることなので、他人にそれを見せるのは本当に嫌んになる(笑)まぁしょうがなく甘えという形になるのですが、まぁだいたい皆そうよね)葬儀の最中はありましたが、なんで泣いてんだろうとずっと思っていました。なので、文字通り遺作になった作品を見る直前までずーっと「はやいわ」というツッコミしかしていなかったのですが、始まってからはそんなツッコミも忘れ、ただ動悸が早くなるばかり。なになに?過去の思い出フラッシュバック?あまりに感動的なファーストカットだった?などということはすこーしありましたが(ほーんとコーヒーにフレッシュくらいの割合)、ずーっと大学からやってきたことをさらにアップグレードさせてやろうというのを感じたからです。柘植さんに卒制でうちの組入ってほしい、そういやまともに話すの初めてだし飯食いにいこうとなり校舎近くのラーメン屋であれやこれや話していました。内容はあんまり覚えてない笑(私は基本的に話下手で聞き側に、あっちがほいほい色々と喋るので話しやすかった)。

ずっと頭に残っていることとしては2回生、3回生のゼミ作品でのスタイル(スタッフやキャストの形式的な事でなく意識的な話ですが)の話があります。まぁ、当時話してた通りに伝えると、『破壊』と『創造』というのをよく話していました。俺も無いけどやっぱ語彙力ねえな(笑)まぁ感覚として伝わるよね。そういう人でしたから。2回生でやったのが、脚本から撮影までが創造で、編集で破壊するということでした。この企みは当時合評での1回見ただけですが失敗におわっていると思います。3回生でやったのは破壊から創造ということでした。これは3人監督がいて各々が撮影して編集時にそれらを混ぜて1本に仕上げるというものでした。この内1つを監督していて、まあ企画自体もそうですが彼の撮影した作品も、大まかな筋はあるものの粗く(意図的に破壊された状態)、撮影時の現場で作っていく(創造)するといった構成とまでいかないけど、そういう流れでした。おもしろかったし、印象に残るのは彼が担当した場面が多かったですけどこれも失敗してると思います。(何目線だよおまえ、というツッコミが入りそうですが笑 友達目線以上でも以下でもないですよね、あー恥ずかし笑)

そういうことを感覚的に話してくれたわけですよね。ラーメン食べ終わって30分くらいかけて(笑)

で、卒制でやろうとしてるのが脚本段階でしっかり固めて創造(この脚本が良かったのか悪いのかは分からないけど)して現場で壊していくというこでした。いやぁ頭の固い私は絶対そんなこと思いつかないし、そういう捉え方なんだ~と当時思っていました。バカな私には細かい所話されるより、そんくらいの全体像で話された方が話の内容よりも食い付きがスゴかったんですね。エサが大きい方がいいんですね(違うな)

だから脚本もすご~~~く悩んでました。たぶん文字的記号より映像的記号の頭なんだろな。(脚本または文章書けない=映像的、ではなく伝えたい事はあるけど上手く伝えれない、ただどうやってこの感覚を伝えれるか、それのイメージは沸く、というわけです。それはコンセプトというよりももっと源泉的なとこだと思います。

だから物語はあるけどそれを直接的に語るのではなく、映像を使ってどう伝えるかというのにまたそれだけの物語を紡ぐのに四苦八苦してた感じです。余談-私が少し脚本で相談にのった時に場面設定を田舎道から防波堤という案をだして、それだ!っとなった時はお互いしたり顔でした。それでみんな苦しむのですが笑)。だし、編集の段階でも自分が付きっきりでやるというよりは、他のスタッフにやってもらいその自分との差異の感触を楽しんでいる感じでした。(撮りきってすぐに自分でやると客観的になれないから他の人にやってもらう方がスマートに進む、という感じではなかったと思います。多少あったとしても)

いまさら言わせてもらうと(言ってもしゃあないんだけどね)現場で壊していく作業はほんとにですよ、ほんとにしんどいよ!!笑 あほ! ただでさえ学生の撮影なんてハプニングの連続なのにねぇ。あの撮影期間中そうしたものは全部企画段階から考えてた思惑が呪いじみたものとなってず~っと張り付いてたんやないのかしら。本当に危険な目にあってたスタッフもいたし(笑)

 

完パケしたのを見ると失敗はしてるんだけど(あくまで私見ですよ)その分脚本にもそれに付随しそうなモノもなかったようなでかい何かは得られてたんじゃないかな~、と思います。お・そ・ら・く・ですけど『創造』→『破壊』という流れの企みは7:3くらいで失敗してんじゃないかなと思います(数値はあくまで個人的な観測です。計れるもんじゃないし誰にも分からん失敗か成功かも)。かといって成功の3は別にでかかった訳でもないと思います。北野武やアキカウリスマキが脚本を作らずシノプシスの段階で撮影していくというものに近いし(まぁ実際はだいぶん離れてるだろうけど)、エドワードヤンみたいに全て設計するようなタイプでもないし。柘植さん絶対理数系じゃないだろうし(笑)ようはこの7:3の「:」(この記号何て言うの笑)がすげぇ大きかったんじゃいかな~と。彼もそんな所に目はいってなかったと思います。でも感覚としてそこに期待はしてたんじゃないかな~。だから見てる最中は「なんなのこれ?」という事を観客は頭に過るだろうけど、見終わった後は「ええもん見たぁ~」「くっそつまんねえ」と人それぞれの感想はあるにしろ、「楽しかった」というのはあるんやなかろうか。(つまらん=楽しくないというのは、つまらなさを楽しめと言いたくなります。そんな言ったら世の中楽しくない事だらけよ、受け入れろとか理解しろとは言わないけど、そんなつまらない言葉でバッサリしないで)

まぁ口封じの映画よね(笑)余白はでかいし大きいけどそこがゼミ作品通して好きだったなあ~うん。

 

とまぁ、そんな事を「はやいわ」というツッコミと共に思い出していたわけです。

だから、最後に(なってしまったけれど)どういう事してんのかすごーく楽しみでした。だから始まって動悸高まってたんですね。

 

これまでは自分の経験や感じている事を元に脚本書いてたけど(企画書とか背景知ってれば分かるよね)、卒制までの作品はそこから離れようとして物語を書いているように思います。というかそれが柘植さんの醍醐味みたいにも感じます。そこから出発だぁ!みたいなね。

 

だから私が『ロストベイビーロスト』を見た後の感想としては、繁盛してない中華屋が改装してお洒落な洋食屋になってすげぇパスタとかプレートが美味しそうなメニューの中にひっそりとエビチリがあるような、そんな感覚になりました。(マジで。その後友人に電車の中でその経緯説明しまくってましたもん)

 

やっぱり今までと違うのは画の安定感でしたけどそこは省きます。それが中華屋の改装に繋がってますが。

今まで見てきた学生時代の作品で感じた突如訪れる怠惰感も音楽や編集の切れが出来ててあんまりなかった。(ちょっぴりそこがむなしく思えた)強いて言うなら、豹(?)や父からの電話、トンネルの赤ん坊奪い合いからの終盤にかけてが、クライマックスにギアが入っての突然の怠惰感に「うわ~最高だな~」と思って見てました。

 

ただ動悸が高まっていくうちに、心配(というか私の変な屈折した早計ですが、まぁたぶんそうなんだろうな、なんだかな)にもなっていきまして、それはちょーっぴり背景知ってるのもありますけど、どんどん自分に向かってない?というのがあって、というか赤裸々すぎないかいという事です。小説家でも音楽家でも自分の経験を扱ってる人は多くいます。私小説って言われてるしね。チャールズブコウスキーなんかもうめちゃめちゃ赤裸々ですよね。ただそれはあくまで題材(というか素材に近い)であって、物語よりも皮膚感みたいなものをヒリヒリと感じるのよね。たぶん、

卒制の作品もそういうものがあったんやないかしら。楽しもうぜぇ!っていうような。(卒業を懸けたレポートをお互い必死こいてやってるときに道でばったり会い、これまたラーメン屋で、やれブレッソンだのやれポールトーマスアンダーソンだの話している中で、「柘植さんて暗い映画は撮らないよね」「たしかに、そういう性分じゃねからかな」というのをふと思い出しました) 

で、話を戻すと改めてどストレートすぎねぇ!?と思うわけです。皮膚感すごい押し付けるやん!といった感じです。物語がそっちにいっちゃったんですよね。怠惰感のなかでも(これは物語に怠惰感を抱いた訳ではなないですよ。怠惰感の中から勢いよく広がる筋道みたいなものが学生時の作品にはありました)まぁ自分に向かったわけです。多少の広がりはありましたけども。物語は爆発しないわけです(撮影や演出なんかはいい爆風でした)。

でも壊すまでには至らずといった所です。むしろいい建築科に頼んで風通しも日当たりもよくしたんだなと。居心地はいいけど、前の中華屋の店の雰囲気もよかったんよ。油ぎっとぎとのソースに衣がはげかけのエビチリなんて笑いながらしか食べれないよね。ビールかなんかで流し込むくらいがちょうどよかったんよ。

 

 

と、なんだか前のがよかったみたいなニュアンスになってしまいました(笑)(すーぐちょっと感傷に浸ると傾き加減がわるくなる。ぶっ壊れたシーソーみたいですね、またまだですな~)

そーんなことはないんですよ、めちゃめちゃおもしろかったですよ!!ちゃんと楽しめたよー。相変わらずわけわからんエモーショナルぶつけてくるし(笑)泣きはしないけどね。あんたの映画で泣くのは柘植マナーではないからね。柘植さん映画見たらよく泣いてたけど(ジャンプでサンジがルフィに飯食わすとこでも泣いてたよね(笑)びっくりしたわ)

 

 

とまぁ、清掃バイトの帰りにふと思い立ってブログの二つ目の日記でまさかこんなこと書くとは(笑)自分でもなんしてんだろうってなる(笑)

 

1回だけ仕事の紹介(まーじで迷惑かけました)で飲んだなー、あとは煙草は今年から吸い始めたから一緒には吸ったことないな。そんくらいかな心残りとしては。

 

まぁなんでこういう事書いたかは自己満足ではないというのははっきりとちゃう、と言います(どう足掻いてもそう見えるのだけどね)。わけなんてのはとーっても小さい事で他人からしたらどうでもいいようなものです。ただ、他人からしたらどうでもいいようなことが他人から見れば自己満足だっと言われるならそれもちゃう、とお伝えします。むしろ自分に満足いかないから何かしてるんやないのかしら、それがどんな形であれ。形はなんでもいいけどどうでもよくはないんよ。

ヴェルナー?ライナー?ファスビンダーと中島らも

え~まず午前の4時頃に起きまして、暖冬だの言われているこの時期ですが、やはり朝の冷気が足下からもぞもぞと込み上げてくるので、左右の足指を擦り合わせて、寝返りをうちながら暖かさを確保していくうちに、いつもは寝てしまうのですが、今朝はチャキチャキと布団をたたんでいました。というのも、このあいだ友人である仲西に、「最近さ、9時には寝て、4時には起きる見た目が40代(やかましい!)のじいさんになっちゃってるよ」、と何を話してもそろりとパスを返してくれる解決ぞろりな仲西ちゃんに、雑少な話を振ってみると、「ええやん、1日長くなって」と、予想中の予想のあまり役者の大部屋の隅にあるような答え、「ごはんって白いですよね」「たしかに!!(馬鹿)」となる始末になりまして、早起きは三文の得という古来よりあるお言葉にわずかにあやかろうという策を企んだ上で、二度寝はしないと決めてかかった次第でございます。

わたしは大学の同期の友人とるぅむしぇあぁをしておりまして、9畳のリビングに、六畳2部屋、この六畳の部屋に各々私と同居人が住んでいまして、ベランダは私の部屋から同居人の部屋の外に繋がっていまする。そして、私は部屋の窓をガタガタと開けてベランダに備え付けられている、「非常用器具」が入った、鉄の箱に座りぼんやりしながら煙草や珈琲を飲み、本を読む事が、何よりもというとかなりの幸せあんぽんたん野郎のアンパンマンなのですが、家で風呂や布団に入るよりもかなり落ち着く至福の時と言えるのでさ。

で、朝方にベランダに出るのは初めてで、「絶対寒いって!」「無理して格好つけんなよ!」「犬の散歩してるブルブルしたオバサンしかいねえぞ!」とどこからか軽言が舞ったのですが、私の地元が近畿のシベリアと呼ばれる程寒い盆地の街だったので、「ふん、あれより寒い所なんて、東北から上の全世界だね」と大きく出ました。が、その熱い意気込みむなしく、朝特有のしゃんとした寒さを感じる前に早々に部屋に戻り、あっつあつの珈琲と近シベを跳ねかかえす厚着をしてまたベランダの鉄の箱に座りました。

そして、私は中島らもの短編集「白いメリーさん」を読んでいました。古本屋で買ったのですが、前の持ち主がおそらく好きな章のタイトル項の右端にペラりと少し折り目をつけ、ブックマークされていました。読み進めるうちに私の気に入った話の箇所に悉くブックマークがされていたので、なんだかくすぐったくも嫌な気分にもなり、もしかして俺のドッペルさん?とくだらない妄想にとりつかれ2時間程して本を閉じました。「白いメリーさん」や「夜走る人」、「白髪急行」の怪奇ちかいし、突如終わりを告げる幻想的な展開にはメランコリックよりも、ノスタルジックな後読感に覆われましょう。「掌」「微笑と唇のように結ばれて」などの男と女のどうしようもなさ、幽霊(ちょっと化学的)、吸血鬼の類いによるゴールの見えた関係は恐怖よりも甘さが残りますよね。そして全体的に切ないんですよね、らもさん(笑)え~~~~~とはなるんだけど、短編の並べ方がラモスはとくにだんだんと、「~」が少しずつ減ってきて、最後の「ラブ・イン・エレベーター」なんかじゃ「えっ」っていう驚きも消えてる、けど驚いてるみたいな、なんだかとってもふしぎ(笑)




さてはて、午後からはこの日最後の上映ライナーヴェルナーファスビンダー(1945-1982)の「第三世代」(1979)「13回の新月の年に」(1978)を観て参りました。ずっと気になっていて、何よりもまず私の心にファスピンダーの矢が撃ち込まれ鷲掴みにされ潰されかけた決定的な宣伝用の画像がありまして、これ↓
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絶対大画面で見てやる!っと誓ったのでした(時間にして1.5秒、体感にして4秒くらいしか映りませんでしたがヴェロウォッフォ(?)!となりました)。

まず「第三世代」を見た後は、
(※.ぶれます)
もおおおおおおおおおおさいこおおおおおおおおおおなんじゃいやああああぶたいいいいいおとおおおおおうずううううう画画画画画画画函画画画画ええぇぇその他もろもろおおおおおおおお
(※戻ります)
と、体の中に入り込んだ何かを必死に言語化しようと努力しましたが、観賞後のハイとローの精神状態を画家が絵を描くときに色を混ぜ合わたようなうつくしい液状と化した具合になり、わたしの意識には絶対に現れない所で嵐となって思考をフリーズさせていました。

ワンショットの中にいろんな要素が隣り合い物語(ドイツの赤軍がテロを企てるが資産家と政府の罠にハマり彼らが壊滅していくという喜劇)としての緊張というよりも画の中にそういうものがたくさんあって、それとは決して混ざることはないのだけれど、ずっと肩を組んでいる感じ、仲良くはないんだけどただそこに在るのだ、といった奇妙な光景を私たちの目の前で連なりを見せてんじゃあないかしら。

ただ感想を見返してみて、やっぱり口にすることがばかばかしくなるので、これで終いにしたいのですが、主に舞台が豪邸なの?って思うくらい部屋数の家と高層ビル(これは13回の新月の年もそうだけど)だったり、高層ビルから見えるドイツの他のぽつんと建ってるビルや曇り空(あんまり晴れは撮してない)という土台が、すり減っていく記憶の曖昧さに残る印象としては強いのです。ドイツのトイレに書かれた落書きや文字を画面にテキストで張ったりラジオからの音声、小さく流れてるオーケストラやTV番組の会話なんかが何層にもして、溢れかえってはふとした役者の動作とともに消えてしまう、ゴダールだと大丈夫?これみたいな荒らさ(一般道手放しでアクセル全開車も傷つくけどコロッとした顔)に惹かれてしまうけど、ファスピンダー構え方はでてーんとしている(階段というのも特徴的)
まぁゴダールエドワードヤンっていう結び付かないようなふたりの間にちゃんと立っていましたね(笑)ちゃんと世の中(というより史は)繋がってるんだなと、もっと漁らないとなと思いながら喫茶店にいます。帰ったらファスペンダーのDVD買って見る前にこの二人見直さないとね。
DVD買うの大分後になりそう