ヴェルナー?ライナー?ファスビンダーと中島らも

え~まず午前の4時頃に起きまして、暖冬だの言われているこの時期ですが、やはり朝の冷気が足下からもぞもぞと込み上げてくるので、左右の足指を擦り合わせて、寝返りをうちながら暖かさを確保していくうちに、いつもは寝てしまうのですが、今朝はチャキチャキと布団をたたんでいました。というのも、このあいだ友人である仲西に、「最近さ、9時には寝て、4時には起きる見た目が40代(やかましい!)のじいさんになっちゃってるよ」、と何を話してもそろりとパスを返してくれる解決ぞろりな仲西ちゃんに、雑少な話を振ってみると、「ええやん、1日長くなって」と、予想中の予想のあまり役者の大部屋の隅にあるような答え、「ごはんって白いですよね」「たしかに!!(馬鹿)」となる始末になりまして、早起きは三文の得という古来よりあるお言葉にわずかにあやかろうという策を企んだ上で、二度寝はしないと決めてかかった次第でございます。

わたしは大学の同期の友人とるぅむしぇあぁをしておりまして、9畳のリビングに、六畳2部屋、この六畳の部屋に各々私と同居人が住んでいまして、ベランダは私の部屋から同居人の部屋の外に繋がっていまする。そして、私は部屋の窓をガタガタと開けてベランダに備え付けられている、「非常用器具」が入った、鉄の箱に座りぼんやりしながら煙草や珈琲を飲み、本を読む事が、何よりもというとかなりの幸せあんぽんたん野郎のアンパンマンなのですが、家で風呂や布団に入るよりもかなり落ち着く至福の時と言えるのでさ。

で、朝方にベランダに出るのは初めてで、「絶対寒いって!」「無理して格好つけんなよ!」「犬の散歩してるブルブルしたオバサンしかいねえぞ!」とどこからか軽言が舞ったのですが、私の地元が近畿のシベリアと呼ばれる程寒い盆地の街だったので、「ふん、あれより寒い所なんて、東北から上の全世界だね」と大きく出ました。が、その熱い意気込みむなしく、朝特有のしゃんとした寒さを感じる前に早々に部屋に戻り、あっつあつの珈琲と近シベを跳ねかかえす厚着をしてまたベランダの鉄の箱に座りました。

そして、私は中島らもの短編集「白いメリーさん」を読んでいました。古本屋で買ったのですが、前の持ち主がおそらく好きな章のタイトル項の右端にペラりと少し折り目をつけ、ブックマークされていました。読み進めるうちに私の気に入った話の箇所に悉くブックマークがされていたので、なんだかくすぐったくも嫌な気分にもなり、もしかして俺のドッペルさん?とくだらない妄想にとりつかれ2時間程して本を閉じました。「白いメリーさん」や「夜走る人」、「白髪急行」の怪奇ちかいし、突如終わりを告げる幻想的な展開にはメランコリックよりも、ノスタルジックな後読感に覆われましょう。「掌」「微笑と唇のように結ばれて」などの男と女のどうしようもなさ、幽霊(ちょっと化学的)、吸血鬼の類いによるゴールの見えた関係は恐怖よりも甘さが残りますよね。そして全体的に切ないんですよね、らもさん(笑)え~~~~~とはなるんだけど、短編の並べ方がラモスはとくにだんだんと、「~」が少しずつ減ってきて、最後の「ラブ・イン・エレベーター」なんかじゃ「えっ」っていう驚きも消えてる、けど驚いてるみたいな、なんだかとってもふしぎ(笑)




さてはて、午後からはこの日最後の上映ライナーヴェルナーファスビンダー(1945-1982)の「第三世代」(1979)「13回の新月の年に」(1978)を観て参りました。ずっと気になっていて、何よりもまず私の心にファスピンダーの矢が撃ち込まれ鷲掴みにされ潰されかけた決定的な宣伝用の画像がありまして、これ↓
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絶対大画面で見てやる!っと誓ったのでした(時間にして1.5秒、体感にして4秒くらいしか映りませんでしたがヴェロウォッフォ(?)!となりました)。

まず「第三世代」を見た後は、
(※.ぶれます)
もおおおおおおおおおおさいこおおおおおおおおおおなんじゃいやああああぶたいいいいいおとおおおおおうずううううう画画画画画画画函画画画画ええぇぇその他もろもろおおおおおおおお
(※戻ります)
と、体の中に入り込んだ何かを必死に言語化しようと努力しましたが、観賞後のハイとローの精神状態を画家が絵を描くときに色を混ぜ合わたようなうつくしい液状と化した具合になり、わたしの意識には絶対に現れない所で嵐となって思考をフリーズさせていました。

ワンショットの中にいろんな要素が隣り合い物語(ドイツの赤軍がテロを企てるが資産家と政府の罠にハマり彼らが壊滅していくという喜劇)としての緊張というよりも画の中にそういうものがたくさんあって、それとは決して混ざることはないのだけれど、ずっと肩を組んでいる感じ、仲良くはないんだけどただそこに在るのだ、といった奇妙な光景を私たちの目の前で連なりを見せてんじゃあないかしら。

ただ感想を見返してみて、やっぱり口にすることがばかばかしくなるので、これで終いにしたいのですが、主に舞台が豪邸なの?って思うくらい部屋数の家と高層ビル(これは13回の新月の年もそうだけど)だったり、高層ビルから見えるドイツの他のぽつんと建ってるビルや曇り空(あんまり晴れは撮してない)という土台が、すり減っていく記憶の曖昧さに残る印象としては強いのです。ドイツのトイレに書かれた落書きや文字を画面にテキストで張ったりラジオからの音声、小さく流れてるオーケストラやTV番組の会話なんかが何層にもして、溢れかえってはふとした役者の動作とともに消えてしまう、ゴダールだと大丈夫?これみたいな荒らさ(一般道手放しでアクセル全開車も傷つくけどコロッとした顔)に惹かれてしまうけど、ファスピンダー構え方はでてーんとしている(階段というのも特徴的)
まぁゴダールエドワードヤンっていう結び付かないようなふたりの間にちゃんと立っていましたね(笑)ちゃんと世の中(というより史は)繋がってるんだなと、もっと漁らないとなと思いながら喫茶店にいます。帰ったらファスペンダーのDVD買って見る前にこの二人見直さないとね。
DVD買うの大分後になりそう