ボケッとしてたら年明けに

 

 

12月9日

今はいつになくぼーっとしてる次第でありまして、普段からボケーっとしてるけれど、毛抜きを入れられたらもうどうすることもできません。眠い訳でもなくむしろ新鮮な気分で千代田線の上をゆらりとしています。

朝から表参道駅で降りるのに、低血圧に拍車をかけなけなしの血迷いを起こし、原宿で慌ててドアinドアになりながらもホームに降りるといつもの見慣れない場所で当惑しながら、私のうしろの電車は走り去り、状況の整理をつけてベニーでマンションまで爆走したわけです。青山通りを爆走するなか警官の「交通法違反だよ!」という優しい指摘も、修羅を装う(というより、慌てん坊のサンタドスクロースか、おっちょこちょいの麋という子供に不愉快を、じゃなかった冬を届ける道下師)私の耳には念仏のような心地よさとして受けとり、交番前を突っ走っていました(マンション着時には髪形が美容院にて300円でアフロにしたような荒々増々のチリヂリ具合)

バキュームは階段から落とすわ、大型バイクにカートをぶつけるわでふわふわと過ごしておりました。なんでその天パのように浮わついてるの?、と訪ねられればこの1週間珍しく遊びに遊んでいたためで、折坂裕太のライブ行って、ロベールブレッソンの『白夜』を見ては終電を逃し渋谷から経堂までペニーで小雨の中狂走し、西川口にあるオートレース場で勝った負けたの老醜たちの果てを見ては、ラジオの収録をして、清掃の社員さんにもらった山梨の白ワインを飲みながらだらだらと家で『ヴィクトリア』を見ては、喉風邪をこじらせている友人二人と回転寿司を食べカラオケに行っては、マンション清掃の忘年会に行ってちぐはぐしていて、平成最後にこの狸みたいな私は合戦という名の祭り御輿に乗ってやろうという意気込んでいたんだどすえ~。。

 

12月10日

そしてそして、その祭りはスパンクハッピー&ジャズドミュニスターズのライブで幕があがるわけです!チケット争奪戦(前売り開始一時間でソウルド・アウト!)に何とか勝って珍しく躁状態だったんですよ。ほんとに。仲西に頑張ってもらいました(笑)ドラマ6話終了くらいのハラハラ感でしたよ。あと1歩で一夫と美沙子のキスが成立しそうなのに宿敵忠則がやってきた、みたいなね、どうなる!!この三者の関係は!!みたいなね、の連ドラを披露していました。同じ一時間で。

そして、そのクライマックスはなんたることでしょうか、僕の目と脳を繋ぐ神経以外の何かがスパークして倒錯具合に拍車がかかっていきまして、菊地成孔名越康文の音楽と変身というのをテーマにトークイベントがあり、それになーんとしてでも行ってやるぅ!今日休みだ!!ひゃっふぉい!!!れれれれのれー🎿🚀と当日券を買いに代官山のライブハウスにて30分並び、ドリンクチケットと共にお金を支払い、満席ながらも自分の居場所を確保し、ドリンクを床にぶちまけ平静にお絞りで拭き、おつまみセットを2分で平らげ、ドリンクを追加し、いざ開演!いよっうお!!と、舞台袖から着物を着たおじいさんとおばあさん(化粧濃い目)が出てきましたとさ、御仕舞い、御仕舞い、めでたし、めでたし。と何か夢現な場所から開放されたような気分で目に映っている光景を全力で否定したかったのですが、手元のライブハウスのチラシに書いてある12月スケジュールには「10日、手猿楽を復刻を目指してその記念すべき旗揚げ」と書いており、「あー、これって昼間にいとうせいこうSNSで書いてたやつやん、あれって昼間にやって、その夜がトークイベントじゃないの?」と思って、そのスケジュールの下、11日の欄を見ると「菊地成孔名越康文、ミニライブ」とあり、もうそのまま狐につままれたままポカーンとしていたこの狸さんは素人のやる能「手猿楽」を恨めしく見ていたという次第です、、、

イナンナの冥界下りという戯曲でシュメール語で実際に台詞を言い後ろにプロジェクターで字幕を流すというスタイルで、泣く動作を3つに別けて、目を擦る、鼻を擦る、そして性器を擦る、といういきなりそこぉ!!というこれだけ覚えといてというのを前座でやり、いざ開演、もう5分で終わってょ、帰りたい、明日はもう行かないよ、今日の晩御飯なんしよ、あぁ、さっきおつまみ食べちゃった美味しかったな、周りの身形の良いお年寄りたちのお目目はドライブ感満載の中ぷっちん不機嫌でイナンナの登場を待ちました。イナンナはずっと舞台の上で宙吊りになって、浮いてんだけどね(笑)干物みたいに。  

 

 

21日

兵庫に帰省、実家には帰りはしなく、西宮と京都と足を運んでおりまして。

前日に予約していたバスのチケットがコンビニで買えなくて、会社に電話してもうまくいかず、結局当日にバスをなんとか抑えたのだけれど、そっちのが安くて、横も後ろもいない最前列だったのでラッキーでした(風邪ひいたけど)

おかんとおひるを共にして、年内のあれこれを振りかえる。相変わらず家の様子は変わらずのようで、思えば家族にたいしてのいつからかある(おそらく幼少期から)苛立ちも、何に対しても私が隣の芝生が青く見えるという小学生からの思考が今も根強く残っているような。ほんとうに馬鹿で不器用な私は周りの「出来る」ということだけが「普通」に見えて仕方がなく、それを唯一甘えられる家族に対してぶつけていたとふと思う。なんてバカな子(笑)と一笑してこんな話はポイとどこに行くかも分からない不燃物と共に埋めてしまおう。無くなる事はないのだ。海に積もった泥みたいに、嵐が来ては舞い上がり、落ち着けばまた違う層になって魚たちの土台になるのだろう。青い海はどれだけ叫ぼうとも赤にも黄色にもならないのは24年と少しで分かった事だ。なんて馬鹿なの(笑)

 

12月22日

スパンクハッピーとジャズドミュニスターズのライブを青山クラブゼロへ見に行く。仲西が東北大震災の時この辺にいたらしく、辺りの高層ビルの上の方がぐにゃんぐにゃんなっていたと言っていた。

ライブハウスの中は狭くて、本当に谷王や菊地成孔小田朋美が近かったが、別段それで失神するような気分にもならずに、なぜなら、その前にトイレへ行こうとドアを開けたらタトゥーを両手に入れたおっさんが「ごめん、ごめん、閉めてなかったわ!」と言い、用をたしていて、それが今回のイベントの親玉だと気付かず仲西に「何か変なおっさんの小便してる所見たわ」と言ったところで、あれ菊地成孔やん!とその場で大爆笑していたからである。普段好きなタレントが近くにいたとしても絶対気づかないし、そういう事もない私にとってその出会いは拍子抜けで(勝手にね)、その後の演奏の嵐にうっとりするばかりだった(横にいたカップルの女が踊り乱れ暴れていて、もうそのまま地の果てまで果ててくれと願うばかりでいた)。音楽を聞きにきたというより、漫才ライブ見てるかのような掛け合いのほうが印象的でしたよ、だって小田朋美、じゃなかったOD本気で落ち込んでるんやもん(笑)谷王は後ろでのったりのらなかったりでなんやこの緩いコントは、地上波の低予算よりも全然おもろいやん、てな感じで眼福の一時でした。

 

12月29日

バイトを終えて、高田馬場に向けて慣れないJRに乗る。年の瀬近くになると人がわんさかいるので、それだけで疲れてそれだけで東京の殺戮型圧縮車両のレベル7(段階つけたいがまだぺーぺーなので私感、つまり阪急電車と比べて)に参りまいるのだが、大学の同期の少々の忘年会に行くため我慢。の限界で帰ろうかと新宿駅で1度降りたり乗ろうとしたりの繰り返しをしてなんとか到着。早めについたので誰もいないので辺りを散策。駅回りは学生街のせいか店も多くて賑やかだか少し離れれば静かな場所にでる。神田川が商店街沿いにあるのが印象的。

企画者が到着したので、とりあえず合流して二人で店に入る。彼はずっとぶつぶつ文句なのかジョークなのか分からない事を一人で喋っている。

ぞろぞろと(あと3人来ただけ)他の面々が来てご飯を食べる。こういう場は本当に苦手だから、あんまり飯の味の記憶とかもないのだけれど水炊きの料理で前菜で鳥刺しが出てきて久々に食べたのが美味しかった。

水炊きは出汁だけでも濃厚だったけど、少し薄味で店のぽん酢を混ぜると何杯でも飲めるように仕上がっていて、げんに周りがなんでか爆笑してる中ずぅーずぅーと啜っていた。

帰りに新宿でうまい青ヶ島の焼酎があるからと、実家に帰る二人を見送ってから3人で行くことに。〆の青海苔とブリの寿司がその日食べた中で最高だった。というかこちら東京に来てからか(寿司屋での賄いを毎日海鮮丼を食べていた私にとって、醤油わさび刺身ロスの舌にはもうベストコンディションだったはず)。

途中映画の話になって、意味もなく複雑化しようとする(ハッキリいうけれど)バカがいて、いやぁ案外シンプルだよ清順は、というと、お前は映画を分かってないと首を横に振り、本当に(さらにさっきりよりくっきり言うけれど)馬鹿、と溜め息混じりに体の中から漏れてしまう次第で目の前の白子だけが唯一救い。私の方が分かってる分かってないだのと、そんな小学校の学級委員長みたいな事を叫んでいるわけではありませんよ(まぁ実際会話のレベルはそれくらいなのだけれども)。分からんのなら分からんでもうちょい言葉選べ!笑 複雑っていう雑な言葉誰も使わんわ!!てか誰でも言えるよ、古代人でも人工知能でも高田純次でもマサオくんでも。たぶんボーちゃん辺りが言ったら深みが出るんだろうけどね、「ふく、、、ざつ!」とかね、どうよこの間の取り方!ってなるよ。

あーと、ボヘミアンラプソティで、ライブエイドの前にフレディマーキュリーのエイズが発覚したってのは、映画の中の話だからね!一応史実じゃライブエイドの後だからね。二人とも!!「クイーンの映画」が好きなのは分かるけどさ!「クイーン」好きではないのも分かるけどさ!笑 別にお前もそんな曲知らねえだろと言われれば口はパクパクしてしまうでしょうが、映画見た後になんとなーく調べるじゃないですか、面白かったしね。

まぁこれも全て映画の力と言われればすごい影響ですよね~二人とも、いや違うよっ!って言うんだもん。思わず、あれ?ってなってとりあえず頷いちゃいましたもん(反省)

 

とまぁ年の瀬近くに戯れ言が聞こえた聞こえないの話を書いてたら年が開けちゃった(笑)ってなって、慌て書いています。

 

今年の抱負をまだ決めかねとりますが、それは次回にでも。ではおやすみなさいませ(深夜に書いてるので失敬)

 

 

 

以下、ラジオ前口上

 

 

 

 

1月 私はブルックリンの寒い中、海辺で遊ぶフォリーズ、愚か者たちを、どこかへ旅立とうとしている船の甲板の上から見下ろしていた。

2月 その船は1ヶ月間同じ場所でただ浮いていた。私は部屋に運ばれてくる韓国料理やベトナム料理、たまに味噌スープを食べながら気長に出港を待った。同室の白人の数学教師とトランプをしながら待っていた。「日本人は大人しすぎるよ、どんどんミサイル撃てばいいんだよ」「サムライ万歳ね、セブンイレブン万々歳、heaven&hellブームは徐々におこってると思うよ」そして汽笛の音とともに船は出発した。愛の見切り発車。白人は卒倒していた。

3月 嵐にあい、船は沈没した、そして私は島に流されその島の人たちに捕まった。私は非常時のことばを持ち合わせていなかった。7年間そこで暮らし彼らの生活に慣れたころ自由を与えられた、この土地の名前は教えられなかったが遥か東に位置するという。私はまず声を失った。

4月 都市部の郊外のBarで飲んでいた。そこに町で一番の美女が私の隣に座った。他愛もない話と他愛もないセックスをした。彼女は5人姉妹の末っ子だという。決まった時間に私たちは愛し合っていた。ある日から来なくなり、バーテンに話を聞くと彼女は自殺したらしい。クラクションの鳴る大通りをだらしのない犬のように吠えていた。

5月 ベルリンのサーカスで働いていた時のこと、相手が空中ブランコで二回転半のジャンプをして、私の手を取ろうとしたが、失敗し地面に落ちていった、天使のよう彼女の残像に口紅だけが残っていた。

6月 ほとんど見えない、目に、喋れない口、というより言葉を失った私は音楽だけを聞いていた。言葉が分からなくてもなんとなく分かるような気がする、声にのった詩を私は口にできずとも目にすることは出来ていた。その日から私は適当な番号をうち電話に誰かが出るのを待っていた。

7月 君は赤ちゃん、みたいだねと電話越しに言われた。だって何も聞けないのだから仕方がない、という旨を伝えても、微弱な静寂とともに笑い声だけが返ってくる、今私が育てている子供もね、私が笑うと嬉しそうにするのよね。産まれた時はお互い泣いてたのにね。

8月 占い師にあなたはまたこの場所に戻ってくると言われた。そしてあなたがただ生きているだけで助けられているとも言われた。何も理解できずにいたが目から涙が落ちていた、水に似た感情はいつまでも惨めな気持ちと慰みを液状化させてくれるが、酒を飲んでいたからどうせ夢だろうと思いながら眠った。

9月 高架下から走る電車を見上げていた。誰も乗っていない光だけが映写機のフィルムのようで映画みたいだった。四本目の車両に白い影が見えた、ドレスを着ていていつか噂話で聞いたメリーさんだと思った。私はそのまま高架下を突き抜け朝陽とともに煙のように消えた。